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第一話

眠れなかった。
寝付けないのではなく、眠るのが怖いのだ。
眠りに落ちそうになる度に寝返りを繰り返しては、どうにか重たい瞼を押し上げていた。
枕元の時計を見ると、午前三時を指している。
真夜中に相応しく、辺りは静けさに満ちている。
時折聞こえてくる車の走行音だけが、私の居る場所が現実であることを思い出させてくれた。

窓際に飾ってある青い空瓶を眺めながら、布団に潜って何度目になるか分からない溜息を吐いた。
そろそろ眠らなくちゃいけない。
ここ一ヶ月も、睡眠不足が続いているのだ。
覚悟を決めよう。
人間である限り睡眠は不可欠なのだから、残念なことに。

目を閉じて、好きな本のことを思い浮かべる。
最近読んだ、挿絵が綺麗な児童書。
あの絵のことを考えながら眠りにつけば、素敵な夢が見られるかもしれない。
悪夢ではなく、良い夢が。
真っ当な、夢らしい夢が。

*** *** ***

何処までも青い世界に私は居た。

無音。

見渡してみても、青いだけ。

無人。

見上げてみると、視線の先だけが歪んで見えた。

空のように清んでいないこの世界は、伸びたり縮んだりしているようにも見える。
それは、大きなバルーンの中に入り込んでいるような錯覚。
走り出せば、この空間に塗り込められて包まれて、呼吸が出来なくなるかもしれない。
そういった圧迫感で支配された空間に、私は佇んでいた。

「遅いんじゃないか、眠る時間」

不意に憎たらしい声が耳の横から聞こえる。
無人の筈の青い世界に、響き渡る男の声。
私は反射的に振り返りたくなるが、ぐっと堪えて静かに答えた。

「夢らしくない夢を見たくないから、眠る時間を短くしているの」

「そういうことをしたら、お肌に悪いと思う」

「そう思うのなら、お願いだから夢の中に出てこないで。わからないかなぁ? 貴方たちに会いたくないって言っているの」

「寂しいことを言う。どう思う、晃くん」

憎たらしい声の主は、そう言って相方に声を掛けた。

「僕も寂しいな、司くん。僕は君に会えて嬉しいのに」

微笑みながら答える姿に悪意は感じられない。
むしろ、好意に満ち溢れているようにすら見える。
初対面の人間なら、難なく騙すことが出来るだろう。
特に、女の子なら。

「眉間に皺が寄っているよ? 女の子は笑っていなくちゃ」

「晃くんの言う通り。良いかい、笑う角には福来りというのは本当のことだ」

この良く喋るふたりの男は、一ヶ月くらい前に初めて私の夢の中に現れた。
その日だけに止まらず、それから毎日現れる。
毎日だ。
一日も休まず、満面の笑みで現れるのだ。
まったく、図々しいにもほどがある。
妙にリアルな会話が出来るし、最初は面白がっていたけれど。
毎晩続くと疲れてくるし、何より奇妙過ぎて気持ちが悪い。
目覚めも悪いし、寝た気がしない。

今はこうやって文句を言えるが、自分には気付いていない悩みでもあるのかと真剣に悩んでいた時期もある。
悩みがあるから、こういう変な夢を見るのかと。
その時はふたりに対して、真剣にコミュニケーションを取ろうと試みていた。
ふたりとの会話から、何かしら得ようと考えたのだ。
結果は悲惨で、のらりくらりと適当な話題に流されるだけ。
ふたりと話すことは無意味と結論付けて諦め、次は夢に関する専門書に手を出してみた。
難しくて多くを理解することは出来なかったが、それでも「自分の中に存在しないものは、夢の中には出てこない」という単純な事実くらいは知ることが出来た。
夢は現実と違って自己投影なのだから、当たり前といえば当たり前。
そうなると、大きな疑問が浮かび上がる。
私はこんなふたりに出会ったことがない。
これは一体どういうことなのか。
その答えは未だ見つかっていない。
もしかしたら、単純に私が忘れているだけなのかもしれない。
それにしては、ふたりの印象が強烈過ぎる気もするが。

「どうしたの、難しい顔をしちゃって」

「何でもない。話し掛けないでよう……」

「そういうことを言わないで。悩みがあるなら、僕に話してごらんよ」

疲れた様子の私に労わるような言葉をかけてくる、晃くんと呼ばれる男。気味が悪かった。何も言う気がしなかったので、取り合えず睨んでおくことにする。

この晃くんとかいう紳士を装っているかのような男、常に微笑んでいるので何を考えているのかが分かり難い。
もう一方の司くんとやらは常に悪人顔なので、これまた何を考えているのかが分かり難い。
司くんの場合は、悪人顔だけでなく長身ときている。
ある意味では晃くんよりも性質が悪いかもしれない。
勿論、これはふたりとも性質が悪いことが前提条件。

「黙ったままでは、つまらない。まぁ、座ったらどうだ」

その悪人顔の司くんが、背後から馴れ馴れしく私の肩に手を置いた。
冷たくて大きい手だと、疲れた頭で感じ取る。

既に座っていた晃くんに手を引っ張られるようにして、そのまま私は座り込んだ。
お喋りなふたりの男に挟まれるようにして座る。
私は黙ったままだ。
両脇のふたりはお構いなしに話し続けていた。
気付かれると煩いので、こっそりと溜息を吐く。
早く朝にならないかと、それだけを願った。

時間だけがゆっくりと流れていく。
毎晩続く、この不可思議な夢。
一体いつまで続くのだろう。
うんざりしているのに、この夢からの脱出方法が分からない。
することもないので、延々と考え込むのが私の癖となってしまった。
目覚めていても、最近はぼうっとしてしまっていることがある。
睡眠不足の所為もあるだろう。

「はぁ……」

溜息が止まらない。
退屈過ぎる。
両脇のふたりと話しても良いのだが、ふざけている印象が強くて苛々するのだ。
会話の内容にしても、私には分からないことばかりである。
「酒って、日常に不可欠だと思わない?」
「思う。寝る前に飲むという行為は、本当に素晴らしい」
まるで中年のサラリーマンだ。
実はこのふたり、見た目は若そうでも中身は年老いているのだろうか。
「最近、アイツは彼女と上手くいっていないらしい」
「あー、やっぱりねぇ。僕は最初からそうなると思っていたね」
まるで女子高校生だ。
そうでなければ、井戸端会議のオバサマ連中だ。
何故そういう話を私の夢の中で繰り広げる必要があるのだろう。
「俺は最近忙しい」
「えー? その割には、僕と話している時間長いよねぇ」
晃くんの言う通りだ。
全面的に支持する。
忙しいのなら、私の夢の中で話し込まないで欲しい。
「あぁ、眠いかも」
「頑張れ、晃くん。ここで眠ってはいけない」
これは私に喧嘩を売っているのだろうか。

夢の中までも苛々としているのは、余計に疲れを増やすだけ。
それなら、黙って耳を閉ざしている方が利巧というものだ。
そうは思っても、黙って体育座りを続けているのは拗ねた子供のようである。
傍から見たら、少々情けない構図に違いない。
それが気分を更に落ち込ませる。

変化が欲しい。

真っ当な夢らしい夢に戻るなんて、そんな欲張りなことは言わないから。

私はこの夢の中に変化を求めていた。
もう、うんざり。
夢の中だけれど、眠ってしまいたくなる。
けれど、見知らぬ男ふたりの前で眠り込むなんてことはしたくない。
これが夢だと思っていたとしてもだ。

ちらりと両脇を見る。
私の苛々と反比例するように、益々楽しそうである。
悪人顔の司くんの笑顔を見ていたら、段々と怒鳴りつけたくなってきた。
一ヶ月も我慢してきたのだ。
もう限界って叫んでも、誰も私を責めまい。
いや、そもそも私の夢の中で私が何を叫ぼうとも良い筈だ。
そうだ、叫んでしまえ。
叫んだら、このふたりも驚いて黙るかもしれない。
自暴自棄気味な考え方かもしれないけれど、ここは夢の中、構うものか。

私はすっくと立ち上がり顔を上に向け、大きく息を吸い込み腹筋にありったけの力を込めた。

「煩い、煩いったら煩い! 毎晩煩いの! 私の安眠を返せ! 私の平穏な日々を返せ! くだらないことを話し続けるなら、私の夢の中じゃなくても良いじゃない。どうして、私の眠りを妨げるの。こっちはずーっと睡眠不足だ! それから、えっと、私はこんなふたりを知らない! どうして、知らない人間が毎晩私の夢の中に現れるの。理屈に合っていない! 気味が悪い! 苛々するのに笑っているし、私が何をしたって言うの! 司くんは悪人顔なのだから、無邪気に笑おうとしても無理がある! 晃くんの笑顔は嘘臭い! 毎晩そういう笑顔に挟まれていたくない、私はもっと良い夢が見たいよう! それから、えと、えっとぉ……」

一生懸命に叫んでみたが、あっという間にネタが尽きてしまった。
ネタが尽きてしまったというより、叫んでいる内に恥ずかしくなってきて何も頭に浮かばなくなってしまった。
あまりにも周りが静かなので、冷静になってしまったのだ。
勢い込んだ手前「以上です……」なんて言って再び座るのは、どうも格好悪いような気がする。
とはいえ、このまま叫んだ格好のまま立ち尽くしているのは、もっと格好悪いだろう。
あぁ、どうしよう。
考えているうちに動けなくなってしまった。
何故ふたりは黙ったままなのだろう、いつもはお喋りなのに。

「あー……」

沈黙を破ったのは、晃くんだった。

「えっと、ごめんね? そこまで迷惑をかけているつもりはなかったんだ。それと、これは言い難いのだけれど……」

「晃くん、俺が言おう」

「そう? じゃあ、任せる」

「……なに、何なの」

ふたりは妙に真剣な顔をしていた。
いつも笑顔の晃くんまでが。
悪人顔の司くんは、更に恐い顔をして。
いつもより胸の鼓動を煩く感じた。
晃くんの「言い難い」という言葉が不安を掻き立てる。

司くんが私と視線を合わせ、ゆっくりと口を開く。
比例して、私の緊張が高まっていく。

「驚かないで聞いて欲しいのだが……。君の先程の発言には誤りがある。それは、我々を人間として扱った点だ」

「……え」

「我々は人間ではない」

「あー……」

やっぱり、これは夢なのだと思った。

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